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Regent Diamond (リージェントダイヤモンド) 140.64ct

Regent Diamond (リージェントダイヤモンド) 140.64ct

 
Regent Diamond
 
リージェントダイヤモンドは
 
1700年頃にインドの
 
ゴルゴンダ鉱山で
 
発見されたとされており、
 
その発見時の原石は410ctと
 
されております。
 
当時鉱山では奴隷による
 
労働者がおり、原石を
 
持出さぬように厳重に
 
監視されていました。
 
その発見した奴隷は
 
自分の太ももを切り裂いて
 
傷口の中にこの原石を
 
隠し鉱山を脱走したと
 
されております。
 
逃走中にイギリスの船長に
 
裏切られ殺されて
 
ダイヤモンドを奪われました。
 
その後そのRegent Diamond
 
リージェントダイヤモンドは
 
インドの商人に当時の金額で
 
5000ドルで買取られたと
 
いわれています。
 
1701年にRegent Diamond
 
リージェントダイヤモンドの
 
原石は当時マドラス
 
(現在のインド洋東海岸)を
 
統治していたトーマスピットに
 
買取られ、彼の息子が
 
イギリスに持って行き、
 
その410ctの原石を現在の
 
140.64ctのクッションカット
 
にしました。
 
薄くブルーを帯びた
 
このダイヤモンドは
 
当時マドラスでも有名だった
 
トーマスピットが所有していた為
 
「ピット・ダイヤモンド」と
 
名付けられ、そこから有名な
 
ルイ14世などの多くの貴族達に
 
買取られ、フランス王家、
 
ナポレオン、オーストラリアと
 
渡り、再度フランスの
 
王様ルイ15世の儀式などで
 
使用する王冠などにはめ込まれ、
 
1775年にはルイ16世の戴冠式の
 
新しい王冠にこのダイヤモンドは
 
使用されました。
 
現在のRegent(リージェント)と
 
言う名前が付いたのもその頃で
 
「統治者」という意味をもちます。
 
そしてスランス革命後の1792年に
 
王室の宝物倉庫が襲撃され
 
多くの希少な宝物が行方不明と
 
なりますが、このRegent Diamond
 
リージェントダイヤモンドは
 
パリ郊外にある一軒のある
 
民家の屋根裏部屋から
 
発見されたとされております。
 
その後フランス戦争で
 
借り入れをする為に
 
フランス政府は
 
Regent Diamond
 
リージェントダイヤモンドを
 
何度も担保に入れ、戦争に
 
必要な費用をうまく捻出しました。
 
ナポレオンが支配者になって
 
1801年にナポレオンの手元に
 
戻りナポレオンは
 
リージェントダイヤモンドを
 
王帝の剣に取り付けました。
 
この世で最も固い鉱物である
 
この石を付ける事によって、
 
古代ギリシヤの人々は
 
「征服されざる者」と
 
いう意味を込め、ナポレオンは
 
そのリージェントダイヤモンドに
 
秘められた力を得ようと
 
考えました。
 
その後ナポレオンは失脚し、
 
エルバ島に島流しされた時、
 
ナポレオン2人目の妻である
 
マリ・ルイーズによって
 
このRegent Diamond
 
リージェントダイヤモンドは
 
オーストリアに持ち去られますが、
 
後になってダイヤモンドは
 
フランスの王冠に使用する為
 
返還されました。
 
復古王政後のフランス王でもある
 
ルイ18世、そしてシャルル10世の
 
王冠に飾られ、第2帝政が開始して
 
からはナポレオン3世の冠に
 
使用されました。
 
その後にはナポレオン三世の妻で
 
あるユジェニー王妃の冠にも
 
装着されました。
 
そしてナポレオン3世が王座を
 
追われると、Regent Diamondは
 
フランスに残され、現在は
 
フランスのパリにある
 
ルーブル美術館で展示されています。