買取実績
Subpage Header Image

北川民次 干支飾り皿 買取しました!!『リサイクルマートドミー瀬戸菱野店』瀬戸・尾張旭・守山・長久手・日進・豊田

北川民次 干支飾り皿 買取しました!!

 

(✿✪‿✪。)ノコンチャ♡ リサイクルマートドミー瀬戸菱野店の瀬尾です。

本日は、瀬戸市内にお住いの常連様より、北川民次 干支飾り皿をお買取り致しました。

 

北川民次

 

特特なデフォルメによる生命感あふれる作風で知られ、はやくから児童美術教育のすぐれた実践者でもあった北川民次は、

明治27(1894)年1月17日静岡県榛原郡に生まれた。

明治43年県立静岡商業学校を卒業し早稲田大学へ入学したが、大正2年中退しカリフォルニア在住の伯父を頼って渡米した。

翌3年ニューヨークのアート・ステューデンツ・リーグに入り、社会的主題を描いたジョン・スローンに師事、ここで国吉

康雄と相識った。大正10年、アート・ステューデンツ・リーグを卒業するまでの間、苦学を重ね主に舞台美術家として生計

をたてていた。同12年、アメリカ南部からキューバへ放浪、同年9月メキシコのオリサバに着き、サンテーロ(聖画行商人)と

なって村々を転々とした。同年中、サンカルロス美術学校に入学、特待生となり3カ月で卒業する。

翌13年、チュルブスコ村の旧僧院で研修する画学生の一員となり、この頃、リベラ、オロスコ、シケイロスらと交際、彼ら

推進する野外美術学校に関わることになり、同14年からのトランバムの野外美術学校奉職を経て、昭和6年タスコに移し

美術学校の校長となった。同8年には、メキシコ旅行中の藤田嗣治が訪問する。同11年、学校を閉鎖して帰国し、

時、愛知県瀬戸市に寓居した。翌12年上京し豊島区長崎仲町1-241に居住、藤田嗣治の紹介で同年の第24回二科展に「

キシ、タスコの祭日」「同、銀鉱の内部」「同、悲しき日」「メキシコの三人娘」「瀬戸の工場」を出品し、会員に推挙さ

れた。

同年、数寄屋橋の日動画廊で第1回目の個展「メキシコ作品展」を開催する。同13年久保貞次郎を知る。戦前は、二科

他、聖戦美術展(同14年)、紀元二千六百年奉祝美術展(同15年)、新文展(同18年)にも出品した。同18年、瀬戸市安土2

地に転居し、以後同地に定住した。戦後は、二科展をはじめ、美術団体連合展、日本国際美術展、現代日本美術展、

術展、国際形象展、太陽展などに制作発表を行う。その間、瀬戸の民衆生活を題材に、独自のデフォルメによる

的な命感の横溢する作風を展開、1960年代からは色彩の上で一転し、それ以前のいわゆる「灰色の時代」から鮮烈

の明るをました。一方、メキシコ時代に身につけた銅版画をはじめ、石版、木版画もよくした。また、児童美術教

力を注ぎ、和24年名古屋市東山動物園内に名古屋動物園美術学校を開設(同26年迄)、同26年名古屋市東山に北川児童美

究所を設立、翌27年には創造美育協会の創立に発起人として参加した。同30年から翌年にかけ、メキシコを再訪したのち、

中南米、フランス、スペイン、イタリアを巡遊する。同39年、第6回現代日本美術展出品作「哺育」で優秀賞を受賞。同48

東急日本橋店他で「画業60年北川民次回顧展」(毎日新聞社主催)が開催された。同53年、東郷青児の死去のあと二

科会会長に推されたbgが、「残る人生は、ただ描くために」と同年9月会長を辞し、翌年二科会も退会した。

 

リサイクルマート ドミー瀬戸菱野店について

瀬戸市のリサイクルショップ、リサイクルマートドミー瀬戸菱野店では、有名作家の器をはじめ、ブランド品や貴金属・金貨、金券、デジタル家電など、幅広い商品の買取、換金をさせていただいております。

質屋かんてい局のグループチェーンですので、ブランド品も安心してお持ちください。

査定だけでもお気軽に、お立ち寄りください。

リサイクルマート ドミー瀬戸菱野店 

愛知県瀬戸市緑町1丁目106番地

ドミー瀬戸菱野店 1F

 

telのバナー.jpg

 

営業時間:10001900

水曜定休

 

◆リサイクルマートドミー瀬戸菱野店