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いつも、当店のHPをご閲覧いただきありがとうございます。
今回は、先日お買取りしましたお品物、花鳥画掛け軸 をご紹介します。
お品物について
商品名:掛け軸
画題:花鳥画
人類の歴史とともに歩んできた花鳥画の歴史
花や鳥を描く行為そのものは、人類の歴史とともに歩んできたと言っても過言ではないくらい古いと言えます。中国は土器、青銅器、画像石に文様としては描かれているくらいです。
しかしながら、花鳥画が世俗画の重要なジャンルとして画人たちに認識されるようになったのは、中国においては六朝期から唐代にかけてのことで、墳墓より数例の出土があるのみで唐代の伝世品はありませんが、当時の主たる画人と画業については伝承記録が残されています。
その後、唐末から五代時代にかけて活躍したとされる黄筌(こうせん)と徐熙(じょき)の画業を基礎として、花鳥画は最初の体系化します。
黄筌(こうせん)と徐熙(じょき)の確実な真筆は残されていませんが、画題、画法、様式のいずれにおいても対立的なものと捉えられる両者の画風は、しばしば、「富貴」の黄氏体、「野逸」の徐氏体として総括され、その後の花鳥画の二極の範となったとされています。郭若虚は黄徐の二体について、黄筌は蜀に事えて待詔となり、禁中に給事して禁裏所有の珍禽、瑞鳥、奇花、怪石を画きますが、徐熙は江南の處士で志節高邁、放達不覊、多く江湖にある汀花、野竹、水鳥、淵魚を画題にしました。黄徐二体の相違は、両者の耳目に慣れた自然の風物の相違によると共に、これを心手に表現する技術、および両者の志の相違にもとづくとされており、また翎毛において、黄筌の描写を「骨気は豊満を尚び、天水に色を分つ」、徐熙の描写を「形骨軽秀を貴び、天水色を通ず」と表現し、この両者の描写方式の長短を「大抵江南の芸は骨気は多く蜀人に及ばず、瀟洒はこれに過ぐ」と論じたとされています。
その後、北宋時代、明時代を経て進化と体系化が行われていきます。
日本での花鳥画の認知について
日本でも、平安時代には花鳥画が制作されていました。南北朝時代になると禅僧によって水墨画の花鳥画が描かれるようになります。彩色を施した花鳥画は室町時代に誕生し、日本における花鳥画は隆盛期を迎えます。
桃山時代には日本独自の様式が成立し、江戸時代中期ごろには皆さんご存じのなんでも鑑定団でも多く取り上げられる丸山応挙をはじめ、多くの画家が写実的な作品を生み出します。
日本の花鳥画の代表例は、伝狩野永徳作の『四季花鳥図屏風』や、森蘭斎筆の『花鳥図』などがあります。
査定ポイント
①状態
今回お買取りさせていただきました花鳥画の掛け軸ですが、書や絵画等が書かれている“本紙”にシミ?のようなものが見受けられることや中廻しや柱に保管などによるシワといったダメージがあるお品物でした。
最後に
当店では、このような他店で買取をしない骨董品や古美術品などもお買取品として査定しております。
ご自宅のお片付けなどで出てきて捨てようか迷っているものを一度当店にお持ちください
お値段が付かないお品物でご処分にお困りの場合は無料で引き取りもしております。
※無料の引き取り対応は当店の引き取り基準を満たしたお品物に限らせていただいております
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