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情報ブログ⑤ シャネルを知る ~ココ・シャネルのその後と残した言葉 名言~
この度もリサイクルマート浜松南店 百蔵(ももくら)のブログをご覧いただき有難う御座います。
数回にわたり、CHANEL ココ・シャネルの人生を辿ってきました。
今回はいよいよ復帰から30年以上住んでいたと言われている「ホテル・リッツ」で死去するまでに残された数々の名言に触れていきたいと思います。
拙い文章では御座いますが、お付き合いいただければ幸いです。
71歳でカムバックしたものの本国フランスではあまりふるわず、アメリカでは新しいファッションとして好評を博したシャネル。
アメリカでは既に香水のNo.5が知られており、マリリンモンローやジャクリーン・ケネディといった著名人がシャネル製品を愛用していたことなどもあって、一躍シャネルの人気は高まりました。
また女性らしいのに実用的で動きやすい、そんなシャネルのスーツは当時アメリカでは革命的であり、1955年にモード・オスカー賞を受賞する快挙を成し遂げました。
当たり前を覆し、女性の自立を掲げたファッションは「シャネル・ルック」と呼ばれ、この頃に「マトラッセのチェーンバッグ」や「バイカラー」などシャネルの定番が次々と生み出されていきました。
マトラッセのチェーンショルダーバッグが発売された当時、ショルダーバッグは男性のものという風潮が広く認識されており、女性は主にハンドバッグでした。
そこに女性用のショルダーバッグとして華々しく登場したのが「マトラッセチェーンショルダー」。
そしてシャネルの人生はますます忙しくなっていきます。
87歳で死去するまで最前線で働き続けたシャネル。
その間にのこした数々の言葉を見ていきます。
仕事に関する名言 「仕事をしないと退屈なの」
完全なる復活を遂げ、モードの女帝として君臨したココ・シャネルは住まいのホテル・リッツで数々のデザインの仕事をこなす日々を過ごしました。
その頃に残した名言がサブタイトルに記した「仕事をしないと退屈なの」。
カッコイイですね。
この名言はさらりとソフトに聞こえます。
仕事に関するシャネルの名言には、強い言葉で表現されたものも多々あります。
それは生半可ではない「仕事」への覚悟をもっていたからでしょうね。
インパクトの強い名言をいくつか紹介します。
仕事のためには、すべてを犠牲にした。
恋でさえ犠牲にした。
仕事は私の命をむさぼり食った。
この名言ははっきりと「犠牲」と言いきっています。 覚悟がみえますね。
成功者の中には、好きなことを仕事にして成功したからと犠牲を認めない人もいますが、シャネルはそうではなかった。
仕事に生き、仕事で大成功した女性の代表として、また働く女性の先駆者としての覚悟をこの名言はストレートに表現しています。
とにかく私はスタッフの二倍働いた。
シャネルはアトリエでとても厳しい独裁者だったようです。
気に入るものが仕上がるまで妥協せず何度もやり直しをさせるなど、スタッフにも容赦なく、年齢を重ねてからは「威嚇による支配者」とまでいわれて反感を買うこともあったようです。
しかし結局みんながシャネルに従ったのは、会社でだれが一番働いているかを知っていたから。
そう「シャネル」です。
誰も私に何一つ教えてくれなかった。
私はすべてを自分一人で覚えた。
シャネルはほかのデザイナーのようには勉強したり修行したりすることなく、まったくの我流ですべてを覚えたそうです。
「紙の上ではなく、生きた女性の身体の上でデザインを作っていく」とリボンを通したハサミを首からかけ、時に床に寝転がり裾の縫い目が正しく美しいか確認したとの事。
現場の女そのものですね。
集中力もすごかったと思いますが、その情熱にしたがって自分を信じ貫きとおした強さに「シャネルの強さ」を感じます。
人生に関する名言
かけがえのない人間であるためには
人と違っていなければならない。
シャネルは生涯を通して「ほかの人と自分を区別する事」を意識し続けたといいます。
そして「自分と自分以外の人との違い」について、「自分にできてほかの人にできないこと」と「ほかの人がいともたやすくできて自分にはできないこと」について考えた人でした。
ココ・シャネルの成功の理由はたくさんあると思いますが、「人と違っている事」に異常なほどのこだわりを持っていたことは成功の理由の根幹にあるのかもしれません。
また当時シャネルが71歳でカムバックしたとき、同業者であるバレンシアガは「シャネルは永遠の爆弾だ」と言ったそうですが、
この強烈な賛辞は「かけがえのない人間」でありたいと願い続けたシャネルを喜ばせたに違いないと言われています。
二十歳の顔は 自然がくれたもの。
三十歳の顔は あなたの生活よって刻まれる。
五十歳の顔には あなた自身の価値が表れる。
これもまたココ・シャネルの残した有名な言葉の一つ。
「どのような生き方をしてきたか、どのような生き方をしているのか。 それは顔に表れる。」シャネルはそう考えました。
五十代半ばのココ・シャネルの顔つきは「厳しく、険しく、迫力」があります。
「精神の老化」はみじんもないのがわかります。
退屈していたの。
それに気づくのに十五年かかった。
無よりも失敗を選ぶわ。
五十六歳でメゾン・シャネルを閉め、スイスでの隠遁生活に入ったシャネルは急速に老け込んだと言います。
ココ・シャネルにとって「生きること=仕事」だから無理もありませんね。
生きている実感のない生活の中でイキイキとはできません。
71歳でカムバックしたのは「再び生きる」為でした。
退屈な生活の中で生きながら死んでいる状態を続けるくらいなら、大失敗した方がまだましと考えたようです。
日曜日は大嫌い。
誰も働かないから。
「創造できなくなった時、それは私が終わるとき」とシャネルは言ったそうです。
そしてまさに死ぬまで創造し続けました。
1971年の1月10日。 その日は日曜日でした。
働くことのできない日曜日をココシャネルはとても嫌っていたといいます。
孤独を恐れ、一人で食事をすることを異常なほど嫌がっていつも誰かを誘っていました。
そしてその日は親子ほど歳の離れた作家のクロード・ドレイとランチをしたシャネル。
その帰り際に「明日はランチはできないわ。 会いたかったらカンボン通りにいらっしゃい。仕事をしているから。」と。
その夜にシャネルはホテル・リッツの部屋で部屋係の女性に付き添われ死にました。
仕事のない日曜を選んで死んでいったのでしょうか。
他にも下記のような名言がたくさん残こされています。
1. “美しさは、あなたがあなたらしくいると決めた時に始まる”
2. “私の人生は楽しくなかった。だから私は自分の人生を創造したの”
3. “流行は変化していくもの。だけどスタイルは永遠”
4. “ラグジュアリーとは心地いいもの。そうでなければラグジュアリーとはいわない”
5. “最も勇敢な行為は、自分で考え続けること。そして声に出すこと”
6.“醜さは許せるけど、だらしなさは絶対に許せない”
7. “女性は上品で素晴らしくあるべき”
8. “エレガンスとは拒絶すること”
9. “ファッションは建築。全体のバランスが重要なの”
10. “私は流行を作ってるんじゃないの。私が流行なの”
11. “女性が少しも身なりを整えずに街へ出てはだめよ。その日、運命の人と出会うかもしれないじゃない。だからできるだけ可愛くあるべきだわ”
12. “私は男の人に小鳥の重さほどの負担もかけたいと思ったことはないわ”
13. “男はみんな子どもだって解ってるなら、あなたはあらゆることに精通しているわ”
14. “かけがえのない人になりたいのなら人と違っていなければいけない”
15. “ドレスはあなたを、今日一番の敵のところへ向かわせる”
16. “下品な服装は服だけが目につき、上品な服装は女を引き立たせる”
17. “家を出る前に鏡を見て、身につけているアクセサリーを1つ外して”
18. “この世でいちばん素晴らしい色は、あなた自身を輝かせる色”
19. “決して変えられないものがある。私は一流をつくりたいの”
20. “シンプルさはすべてのエレガンスの鍵”
21. “いい靴を履いた女性は決して醜くならない”
22. “壁が扉に変わることを望みながら、そのドアを叩き続けてはいけない”
23. “贅沢を貧乏の反対だという人がいるけど、それは間違い。贅沢とは下品さの反対なのよ”
24. “20歳の顔は自然からの贈り物、30歳の顔はあなたの人生。でも、50歳の顔はあなたの功績よ”
25. “男はいつでも心配や不安を与えた女性のことを覚えているものよ”
26. “女は黒と白以外のすべての色を考えつく。黒にはすべてがある。白も同じ。その美しさは絶対的なものであり、完璧なハーモニーを奏でている”
29. “公爵夫人はたくさんいるけれど、ココ・シャネルはひとりだけ”
30. “人生は1度きり。だから思いっきり楽しむべきよ”
心に響く言葉はありましたか?
時代を築いた強い女性の象徴であるココ・シャネルの残した言葉は、これからも後世の人々に様々な影響を与え続ける事と思います。
ここまでお読みいただき有難う御座いました。
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