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鉄瓶を売るなら、リサイクルマートパティオ可児店へ
鉄瓶をお持ちじゃないですか?
↑こんなやつです。
小さい急須のようなタイプは高く買取するのは難しいのですが、大きいものや、細工がある物は驚きの価格になることも!!
今回は、高く買取ができる鉄瓶のメーカーをご案内致します。
龍文堂(りゅうぶんどう)
「龍文堂(りゅうぶんどう)」は、京都で作られたのブランド鉄瓶です。
江戸末期から昭和33年ごろまで8代も続いた老舗で、京都における鉄瓶鋳造は龍文堂から始まった、とも言われています。
「鉄瓶(てつびん)」と聞くと、多くの人が岩手県の「南部鉄器(なんぶてっき」を思い浮かべるのですが、実は京都を含む京阪神も鉄瓶の生産が盛んでした。
ほかの地域の鉄瓶と区別するために「京鉄瓶」と呼ばれることもあります。
「龍文堂」は、江戸末期に初代である四方龍文(しかた りゅうぶん)が、蝋型を使った鉄瓶鋳造を考案したことが始まりです。
蝋型を使った鋳造は、非常に細部にまでこった細工ができるため、龍文堂の鉄瓶は特に目の肥えた数寄者(すきしゃ)が愛用しました。
2代目以降は正式に「龍文堂」を名乗るようになり、とくに明治から大正時代にかけて、龍文堂は高級鉄瓶として名をはせました。
著名な職人も多く出て、鉄瓶に個人銘を入れることもありました。
龍文堂の銘は、通常、蓋の裏に入っています。
龍文堂のような京阪神の鉄瓶は、特徴として底に「鳴金(なりがね)」という薄い鉄片を貼ってあることが多く、火にかけると音が鳴るようになっています。
この音がまるで風の音のようだ、ということで、茶席などで非常に愛好されました。
そもそも鉄瓶は、茶道でお湯を沸かすために使用される「茶の湯釜」に、取っ手と注ぎ口を付けたものが原型だと言われています。
亀文堂(きぶんどう)
「亀文堂」は、幕末のころに初代亀文堂・波多野正平が始めた鋳造製品工房です。
初代亀文は京都鉄瓶の名門・龍文堂で蝋型鋳造の技術を学んだあと、近江・能登川の風景を好んで移り住み、鉄瓶や花瓶、置物などを中心とした鋳造製品の制作に従事したと言われています。
初代亀文堂・波多野正平は、江戸後期の勤王家・頼山陽(らいさんよう)の教えを受けたこともあり、勤皇の志士と交友があったことから、幽閉された経歴を持つという豪放磊落な職人だったようです。
いっぽうで鋳造技術に秀でて、風雅な美的センスもある作品を多く残しており、現在でも近江の湖東地方を中心として「日本亀文」の銘がある鉄瓶が多数残っています。
もちろん鉄瓶に限らず、初代亀文の作った茶釜や火鉢、花瓶などが美術品として高く評価されています。
初代亀文が明治25年(1892年)に亡くなった後は、3代目まで鉄瓶を中心とした高級蝋型銅器などを制作。
昭和初期には工場を持ち、大小さまざまな鉄器・銅器を作っていました。
こうして亀文堂の名は広く知られるようになり、現在も古美術市場で見かける「亀文堂」の作品には、3代目のころに制作されたものが多くあると言われます。
その後、昭和20年代に4代めが亀文堂の跡を継ぎましたが、時代の流れから高級鉄瓶の需要がなくなり、そのまま亀文の歴史も終焉を迎えました。
高価買取中の鉄瓶
金龍堂、金寿堂、龍文堂、光玉堂、雲色堂、亀文堂、角谷一圭、畠春斎、祥雲堂、尚美堂
鉄瓶は、名前すらわからない、状態が良くない、サビだらけ。そんなのは売れないと思っていませんか?
これだけサビがあっても全然大丈夫です。
何が言いたいかというと、鉄瓶のサビは基本、さほど気にする必要はないということです。
鉄鍋はオイルを塗って浸透させて、黒光りさせて育て上げるものですが、鉄瓶は特にオイルを塗ったりせず火に掛けるので、長年使うと多少のサビは出てしまいます。
必要量だけ沸かして乾燥させれば錆びづらいのですが、それでもサビが出た場合はあまり神経質になる必要はありません。
良くないのは、サビが出て慌ててヤスリや金たわしでこすり落とそうとすること。
それをやると、そのサビがお湯を沸かしたときにお湯に出てしまいサビ臭くなるのです。
錆びている方が、かなり古い鉄瓶という事なので、価値が出るものもあったります!!サビを落とさずにそのまま査定に持ってきてください!!
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